夜空の古代史 ancient   系図のページに年代  夜空のページに注釈

禁書が残っていても、そちらの正義であって真実とは証明できません。 見聞録も思い違いや、嘘の情報を聞いている方が確立は高いと思えます。だから神に頼っていた当時の一人一人の人となりを、背景からイメージをぼんやりと想像しては、また変えて、また想像して、背景と行動に整合性があるように、背景と歴史の流れを想像しました。私の古代史は文献からヒントを得ていますが、イメージを膨らますことが主でありましたから、根拠となる文献が無いのはその為です。
たぶん、文献をコンピューター(のような)で精査解析しても不可能だと思います。コンピューターは、人が嘘で書いたか、嘘の伝聞を信じて書いたか、見たけれど誤認して書いたか、が判断できないからです。人工知能が心理学を学んで嘘を吐けるようになると可能になるのかもしれません。
作為の下に埋もれた人々の口惜しさを解きたいと思い、提案して見ます。

それぞれの人物背景は"夜空be quiet"のページへ記載し、系図を"系図ancestry"のページに載せています。

BC660年頃
秦系(ヘブライ)の天御中主命とされた人物が宇佐に来たのを神武天皇即位の日とした
BC210年頃
徐福が九州に来て秦系(ヘブライ)と遭遇し、秦へ戻り始皇帝へ報告し、戦力を整えて再度九州へ上陸し秦国を立てる
57年頃
魏に対して奴国が主要国
100年~190年頃
倭国大乱
190年頃
卑弥呼を共立しヤマト連合を立てる
210年頃
沖縄伊是名島のイザナギとその妹でオナリ神のイザナミが鹿児島に入る。イザナミは後の天照大神(日霊女、向津姫)を産む。イザナミは220年頃に開聞岳の噴火で亡くなったので大日霊女貴命と言われる。マグマは太陽の欠片であり、日神が火神を産んだ。火明命は日神の子。
220年頃
再度卑弥呼を共立して近畿を含む邪馬台国(ヤマト大国)を立て、大和(畿内)が中心となる
230年頃
日矛が山陰伝いに近江辺りに来て、遠戚の秦を頼り住みましたが、先住のクナト系民に祖国秦の自慢をし、倭国を愚ろうしたので、葛城や尾張の民にコテンパンに遣られ、丹後辺りまで逃げていたのを、当時の丹波大国主である伊和大神に拾われ、出雲と丹波の境になる円山川上流の出石に住むことを許された。(因幡の白兎)
240年頃
イザナミの子の天照大神(日霊女)は九州の五部族(幣立神宮の五色面)の長の秦(ヘブライ系)の猿田彦と結婚。猿田彦の妹に磐長姫がいる。磐長姫は瓊瓊杵尊に振られたのではなく、猿田彦を遣った瓊瓊杵尊を拒んだ。
日霊女は市杵島姫、多紀理姫、玉依姫を産む、三女ともシャーマンの素質があり、当時はシャーマン一人に付一国ある位シャーマンの言葉で政事(まつりごと)をしたので、260年頃、市杵島姫は大和の饒速日の妃に、多紀理姫は丹波の大国主(大己貴)の妃に、玉依姫は鵜茅不合尊の妃に行った。
卑弥呼の時代の出雲の大国主は孝昭天皇で、大国主の妻は世襲足姫(須世理姫)。 出雲の大国主はヤマト連合帰順の証しとして世襲足姫や沼河姫と結婚する。 又世襲足姫は尾張で出雲の大国主とは別男との間に武御名方を産んでいて、武御名方は海神の娘と結婚し、元々信濃なので出雲には口出ししないと約束する(伊勢の科戸の風と科野の繋がり)。又子孫は春日に住み、神武東征の折、子孫の武甕槌󠄀が神武を受入れに同意した。
248年頃
卑弥呼が亡くなったので、出雲はヤマトとクナトの共存の地であったが、ヤマト系の出雲の王が、吉備から入って来たクナト系のスサノオに攻められる。スサノオが男王となる。
ちなみに草薙剣は刃の部分が草を刈り込むように内反りの方に付いている剣、十握剣は十本の剣と思います。
250年頃
スサノオ(孝元天皇)が台与(大市姫)と結婚し台与が女王となる。市は「神の言葉を降ろす神の子」という意味。
250年頃
瓊瓊杵尊勢力が久留米へ侵攻し、海幸彦が遣られ、身籠っていた豊玉姫は山幸彦の妻となり、産屋が間に合わなかった。
瓊瓊杵尊勢力が高千穂へ侵攻し、鈿女を使って猿田彦をだまし、体をナマコにして四方に埋めた。鈿女の子孫の猿女にナマコだけ従わないのはこの事。「見ざる聞かざる言わざる」、猿女が鎮魂の儀礼の役になる。
猿田彦が亡くなり九州連合の力が弱まり、瀬戸内の秦勢力が弱まる。
270年頃
饒速日が畿内の主要勢力に成る
畿内を取れなかった出石系大綜麻杵の孫の彦太忍信(伊迦賀色許売と孝元天皇(スサノオ)の子という偽証で)が紀伊の名草戸畔を遣り、紀伊を取る。
280年頃
秦勢力が弱まったので、吉備が台頭し饒速日が遣られる。次いで市杵島姫亡くなる。
饒速日の母は秦系の大市姫(台与)で、父はスサノオ(孝元天皇)で、スサノオの母は辛国息長大目(赤留姫)で父は磯城県主(アコタヌシ)大目でクナト系でアラハバキ神系。(台与は伊勢の天照大神)
吉備は考安天皇の流れの三系統でクナト系(倭迹迹日百襲)、秦系(彦狭島)、新羅系(吉備津彦)が居り、考安天皇の父は卑弥呼の時代の出雲の大国主(孝昭天皇)。
神武は叔母の市杵島姫が亡くなり畿内に吉備が台頭して来たので、仇討を兼ね東征する。その為神武の曾祖母か祖母の日霊女(畿内の天照大神)の神霊を守り神として群行する。宇佐に依り市杵島姫の父方秦の協力を得、秦の太玉命と東征し、広島で市杵島姫を弔い、新羅系吉備族を討伐し、岡山でも新羅系吉備族を討伐した。尚、秦系の太玉命は神武東征後、太秦、徳島、千葉、筑波等貰う。
300年頃
神武は大和に入った時、敵と見なされ、攻撃を受けたので大和と仲の良くない南紀(隼人山祇=熊野山祇=クナト山祇)から入る。紀南から入ったのは、紀南はたぶん山祇系であり、山祇系の木花咲夜姫との縁で河内から紀南の協力を得るために紀南から入ったと思います。 途中、名草戸畔を遣った事に成っていますが、戦力が落ちているのに、紀南へ行く途中で、わざわざ名草戸畔を遣る動機がありません。
その頃大和は宇摩志麻遲が主王で、長脛彦が副王であり、宇摩志麻遲の父は丹波国多紀郡の大国主(大己貴)で、母は日霊女と猿田彦との娘の多紀理姫であり、大己貴と結婚して菊理姫と言われる。宇摩志麻遲の妹は下照姫で葛城の太陽神で台与の次代をしていたシャーマンで、兄の味鋤高彦根は一言主とも言われ神武と宇摩志麻遲と下照姫の仲裁役をして後に八咫烏とされた。仲裁内容は「クナトとヤマトと竜王と秦の血を引く伊須気依姫の婿に入る条件で神武を受入れた。
大和朝廷成立
崇神天皇(神武)が邪馬台国時の大己貴(陸耳御笠)と多紀理姫(菊理姫、匹女)討伐命令を出す。丹波大国主(大己貴)は陸耳御笠とされ、妻の多紀理姫は菊理姫ともいい優れたシャーマンでヘブライ秦系です。後に匹女とされ、夫婦共、大江山の鬼とされた(山窩にも信奉されるの菊理姫)、そして菊理姫は科野を頼り、科戸の尾張へ逃げたのではないか(味美二子山古墳)、そして葛城の太陽神である下照姫は、名草戸部亡き後の名草郡を任された紀伊国造名草彦の妻名草姫となる。【草の主は菊の異称】(草や繁木は人混みの意で使われたと思う)そして、宇摩志麻遲は崇神の下に軟禁され鎮魂の法を奉斎、味鋤高彦根は高知に隠居、日子坐王は陸耳御笠を討伐に行ったとされているが、従わないので殺されている。

330年頃
景行天皇が豊後の猿田彦末裔の打猿討伐
350年頃
倭建命が熊襲討伐失敗
370年頃
仲哀天皇が熊襲討伐の為神功皇后に協力要請するが拒否されて失敗
神功皇后は九州連合隠起
390年頃
神功皇后は娑竭羅竜王との子の応神天皇を仲哀天皇の子として畿内に進出
応神天皇の妹の八幡は優れたシャーマンで名を轟かす。八幡の妹の頗梨采女と牛頭天皇の子が八王子いて、強靭で蘇民将来伝説で応神天皇批判が出ないよう大和一帯を抑え込む。
出石系伊迦賀色許売後裔勢力は神功皇后勢力と協力して再び紀国を奪い取ったので、270年頃の名草戸畔殺害の所業を300年頃の 神武の所業とし、祖先の罪を消した ものと思います。

仁徳天皇は、九州王朝の力と、庶民が貧しく低賃金で使えたので大古墳を造れた。


筑紫王朝又は九州王朝と大和王朝
神武東征時は筑紫と大和は一つに成ったが、
かつて猿田彦が居た豊後で大和朝廷に帰順しない者達が増え、景行天皇が征討したが、落人が肥後に逃走
肥後で反抗勢力が起こり、ヤマトタケルが征討に行くが失敗
再度仲哀天皇が肥後征討に行くが神功皇后の協力を得られず失敗。神功皇后は九州王朝成立に向けて裏で動く。
5世紀末~6世紀始めにかけて百済の弱体と共に大和朝廷弱体期に近江毛野の新羅攻めを阻止するために磐井の乱が起きる
毛野の祖の神武天皇と筑紫は懇親の仲だったが、今では九州王朝派になり、今までの大和朝廷の筑紫攻めは許せず、又、以前神功皇后と応神天皇の中央進出の後ろ盾をした熊襲と新羅は、九州王朝を確固たるものにしようと、大和朝廷の交易切り離しを計った。

海幸(海洋民族)、山幸(内陸民族)、クナト、ケルト、エジプト
12000年前鹿児島の丸ノミ型石斧、 6000年前丹後半島の丸木舟、 7500年前千葉市川の刳り船、 等、 刳り船を外洋から来た船としたら、同じように北海道から沖縄まで刺青の風習があるので海洋民族も日本全土に移入したと思いたい。 ポリネシアのカヌーに乗る漁民は「日本は近いよ、簡単に行けるよ」と言う
他、北方からの移入者(クナト、アラハバキ神)
中国は刺青の風習は無く、刑罰に使う為、海洋民族ではない
刺青の風習の有る雲南省、呉、越、朝鮮南部、等は海洋民族の流れ
 雲南省は中国の流れではなく、海洋民族が雲南省まで移入してきた
 「倭人は呉の太伯の末裔」は、中国からはそう見えるが、海洋民族からは呉は同族
随時東南アジア各地から海路にて移入
BC7世紀に刺青の風習のないヘブライ系秦が移入
 内陸民族とは違い、エジプト、ケルトの民(星辰信仰、巨石信仰)
BC3世紀に刺青の風習のない秦(徐福)が移入
 ヘブライ系と内陸民族の混成
AD3世紀に刺青の風習のない騎馬民族が移入
 内陸民族(山幸)
AD4世紀始め伊須気依姫が大久米命の刺青に驚く
 大和では刺青の風習は無くなっている
AD5世紀始め安曇連浜子に刺青刑
 大和では罪人に刺青を入れる

 

歴史を知る本分
心はどこから来て、なぜ、移り変って行くのでしょうか
生まれつきの性質は魂の表れであり、その魂を性分とか性根と表現しています。 
数千年、数万年の経験で養った性質は、一生では変わらず、視野の狭い者ほど、何回生まれ変わっても変わりません。 「三つ子の魂百まで」と表現されます。 
数多く生まれ変われば善い人に成るのであれば、人の世が荒んで行く訳が有りません。
生まれながらにして心は皆違います。性善説も性悪説もどちらも雑多にあてはまります。
たとえ、経験が少なくても、そこの風土を受けて、人は善くも悪くも変わって行きます。
心は魂の本質であり、人それぞれ見せかけ方が違います。正直な人は嘘がばれたり、逆に正直を装って嘘を本当に変える人もいます。裏の裏をかいて見せる人もいます。自ら社会をねじけて環境を乱します。
元の人の心とは、どんなものだったのでしょうか。それは、はかりごとのない、ただの記憶だけだったと思います。

理想因果ではなく、現実因果をフィクションではありますが、物語にして表現して見ました。
人の心
寅は、「間に合わないから」と言って、生まれる時期を早めて、この世に生まれました。
寅が4歳の時、忘れられないはっきりとした夢を見ました。
家の奥の一室で、父親が太鼓をドンドンドンと単調に叩いている。 寅と兄は逃げる態勢をしていた。 父親が太鼓を叩くのを止めると同時に、一斉に逃げ出すのです。 何故かと言うと、川の下流が左に湾曲していて1km位離れている下流の岸に、獅子舞が待機しているのです。 その獅子舞が太鼓の叩く音が止まると同時に襲ってくるのです。 川の湾曲を飛び越えて襲ってくるように察知しているのです。 父親が叩くのを止めた時、寅と兄は家から飛び出し、1km位上流に逃げ、寅は物陰に隠れ、兄は土手の上で獅子舞に捕まり、夢が覚めました。
父親は一緒に逃げていませんでした。 母親は全く夢に存在していませんでした。

それから1年後、寅の家族は父方の祖父母の家に引っ越しました。 
明治生まれの祖父母は質素な食生活をしていましたが、子供を他所に預けて町で遊び歩いていた母親の料理は、砂糖と醤油と油の味が強い物でした。 
祖父母は60代後半で、そのような料理は体が受け付けません。 祖父は食べられないと言いますが、母親は一向に改めません。 祖母はそれでも我慢して食べていました。 祖父はなるべく味の付いていないものを食べました。 
母親は毎日のように祖父母の悪口を子供に言い続けていました。「祖父母の家系はどこの馬の骨とも分らん」、「母方の家系は有名な武士の出であり、10kmにも及ぶ県道沿いの山は全て母方の土地であった」とか、「祖母は猫撫で声で卑しい人間だ」、「祖父は我がままで自分勝手だ、祖父母が母親に意地悪をする」、など日常のように言っていました。
同居して4年後、祖母は脳梗塞で亡くなりました。 
母親は泣いて見せる為に、1歳の子供を出しに使って「もう会えないのよ」と言って大泣きをして見せました。 9歳の寅は母親が嘘泣きをしているのがはっきり分かりました。
また、母親は「あそこの地区の者は、卑しい人達なのだ、母方の里に聞けば全て分る」と、8歳の寅に言いました。 
寅はその時、「自分はその地区の人の体に生まれていたかも知れない」と思いました。 だからこの母親は間違っていると思いました。 
寅はすでに、自分の意識が魂に依るものであり、体とは別だと思っていました。

寅は高校を卒業して家を出るまで、家の中では兄に虐げられていました。 
廊下を歩く時は、音を立てないように歩き、本をめくる時には音がしないようにめくって勉強していました。 
母親に改善を求めても、何もせず、「誰のおかげで食べられていると思っているのか」、「親に成ったら分かるよ」と捨て台詞のように言い放つだけでした。
寅は仰向けになると天井がグルグル回り、見る夢は何かに追いかけられるのだが、逃げるのに走っても走りがスローモーションになる。そして捕まる寸前で目が覚めるのです。その夢は15歳から30歳まで、18歳で家を出ても直りませんでした
寅は15歳の時、両親にはっきりと言いました。「私はあなた達から技術的な事は教わることはあるだろうけれど、精神的な事を教わることは一切無い」と。それはこの件だけではなく、幼少の頃からの思い出す気にもならない程の多くの事の結論でした。 
寅の味方は祖父母だけでした。

寅が28歳の時、寅は後頭部が自然と痛くなり1ヵ月位痛みが続いていました。 
脳神経外科でCTを撮っても原因が分からず、痛みは続いていました。 
そんなある日、知人から霊媒師を紹介されました。霊媒師が言うには、猫や狸など車に轢かれた動物が沢山憑いていると、寅が、亡くなった動物を見ると「成仏しますように」と念じるので、その動物霊が頼って離れず集まってしまったらしい。 
動物霊の救い上げをしてもらい、しばらくは頼って来る霊を、寅が跳ね返す力が付くまで、気を入れて救い上げをしてもらう事にしました。 
その霊媒師と話をしていると、霊媒師が驚いたように「十種大祓を称えるように」と誰かが言っていると、寅に伝えました。それと寅は十字架を背負っていると言う。 
何故十種大祓を称えるのか、十字架が何なのか分らないと言う。 
その後、三回目に会った時、霊媒師が言うのに、「母方の里の離れに般若の面があり、それが寅を狙って干渉している」と言う。離れを調べたが般若の面はありませんでした。
更にそれから三年後、別の二人目の霊媒師に、寅は物部の人物であったと言う。 
ここで一人目の霊媒師の十種大祓と二人目の霊媒師の物部の人物が繋がりました。 
母親が自慢していた「母方は有名な武士の家系である」というのを、二人目の霊媒師に聞いてみたら、その系統は入っていないと言う。
どうも上位に立つために脈略を自作したようである。 
更にそれから3年後、また別の三人目の霊媒師が言うには、寅の母親が般若の様な形相で寅を狙っていると言う。 寅を屈服させたいのだと言う。 
過去世で母親は姫であり、皆からもてはやされ色々な男が寄って来ていたという。 
しかし寅はこの姫の本性を見抜いており、相手にもしなかった。 
寅に色仕掛けを試みたが、見破られ本性を暴かれてしまった。 
それが悔しくて寅に仕返しをしたが敵わず、反対に寅にさらし者にされたらしい。 
それで復讐の為、寅が生まれる家系に嫁に入り寅の母親になったらしい。 
寅の父も兄も、過去世では人の上に立っていた人物であったが、寅にはかなわなかったらしい。
それと母親の先祖は、昔、獅子舞に潜んで人に近づき悪事をするような先祖であったという。
ここで4歳の時に見た夢に母親だけ居なかったのが分りました。母親は襲って来る獅子舞の中に居たのです。

それから更に3年後、3歳の子供が寅の家に来たとき、1階で話をしているのに「2階に口が裂けて目がつり上がった女がいる」と言う。 
それで今までの一人目の霊媒師が言った「母方の離れに般若の面があり、それが寅を狙って干渉していると言う」、や、3人目の霊媒師が言った「寅の母親が般若の様な形相で寅を狙っている」と言う、や、3歳の子供が言った「2階に口が裂けて目がつり上がった女がいる」と言った事が全て一つに繋がりました。 
更に、4歳の時見た獅子舞に襲われる夢で、夢の中に母親がいなかったのは、母親が獅子舞の中に入っていたから、父親が一緒に逃げなかったのは、既に母親と結婚していたから母親の手中に落ちていたから、兄が獅子舞に捕まったのは兄が既に母親の手中に落ちていたから、寅が逃げ延びたのは寅が母親の手中に落ちなかったから、と想像できました。 
別々の二人の霊媒師が言う事と3歳の子供が言う事が一致しており、現実に母親の、上から目線の知性の無い、掃き捨てるような言葉や数々の行動が、全てが一致しており、二人の霊媒師が見たものは、まやかしではなかったと確認できました。 
それでも寅は、母親の事は捨て置けと相手にもしていませんでした。

夢から始まって33年後に全てが繋がり、それから13年たっても母親は全く変わらず、それどころか、母親の兄に、「寅が母親を嫌いだと、世間で言わせないようにしてくれ」と頼み、叔父は寅に、「言う事を聞かないと家族一同縁を切る」と脅迫しました。 
そしてその日も94歳の叔父は「寅の祖母は猫撫で声の卑し~い人間で、祖父は自分勝手でわがままな意地悪な人間だ」と顔を歪めて強く言いました。 
だから寅は「そうしなさい」と言って離れました。 
叔父は以前、近所の人の悪口を言っていましたが、縁を切って一週間と経たない内に、近所のその人に、寅がひどい人間だと言って廻り、その人を取り込み、また、母方の親戚は「寅に見捨てられた」と、寅の関係する会社などにも、真反対の嘘を広めました。

母方の親族は寅の祖父母を、嘘を吐いて陥れたのに、母親の里の家長は寅が「母親を嫌いだと世間に言えば縁を切る、それが血というものだ」と言う。 正論のように見えますが、この場合、母方は祖父母を陥れておきながら、嫌いだと言われるのが不都合だから、縁を切るのが当然だと言うのは、それはまるで「逆らうとひどい目に合わす血筋だぞ」と、自白している様なものだと思いました。 
寅が母親を嫌だと言うのは、地元の人がいまだに、寅の祖父母が母親をいじめて母親が大変だったと、地元の人から聞かされ、思っている人が多くいるのを知ったからでした。 
祖母は死後43年経っても言われ続けているのです。
祖父は真っすぐな人でしたから何かにつけ陥れられていました。 
心が正しい人でしたから、仏様を信じていましたから、仏様が嘘を晴らしてくださると信じていましたから、陥れられても、陥れられても、何も言わず、するべきことをしていました。 
母親は「祖父が財産を皆、寺に寄付してしまう」と財産が減るのを気にして愚痴を言う位、祖父はお寺に寄付していました。 
祖父は、自分勝手な母親を里に帰したかったのですが、「孫を生んでくれたのだから仕方がない」と、思いを消していました。 
祖父は自分が建てた家も土地も捨てて自分のアパートに住もうと思って、祖母の父から受け継ぐ大切な仏壇を、祖母や祖父の兄や、早くに亡くなった祖父母の長男、次男の思いの籠る仏壇を、アパートに移していました。

寅もよく陥れられますから、それゆえに、嘘で陥れられた祖父母が悪人にされたままでいるのは、道理が違うと、世間に絶望していました。
だから、母親が同情されているのは捨て置けと相手にもしていませんでしたが、それが祖父母のいじめだと言われ続けている事は、真反対であると知っていましたから、母親とは会いも話もしませんでした。
だから人に母親の事を聞かれると、「母親が嫌いだから、母親の事を聞かれても何も分らない」と答えるのです。
寅の祖父は、祖父の兄が婿に入ってすぐに亡くなったので、兄の代わりとして婿に入りました。
祖父母は長男を病気で亡くし、次男は戦争で亡くしました。 
祖母は何年経っても外に出かけては親身な人の所で、亡くなった息子のことを思って涙を流していました。 
寅には祖父母の戦争で亡くなった次男の魂も入っています。
寅はその次男の命日が誕生日と同じ月日であり、死ぬときの記憶が二度甦った事があります。二度目は何の記憶かすぐ分ったので、即座に意識を断ちました。

母親の里の家長が、縁を切ると言った3日後、寅の頭の中でリズムが鳴っているのです。 
楽しいではなく、嬉しいという感じのリズムなのです。 
今まで聞いたことのない、とてもよく表現された不思議なリズムです。 
それが3日位続きました。 仕事中気が付くと鳴っているのです。 家にいる時も気が付くと鳴っているのです。 1日に何回も気付くのです。 
先祖が本当に喜んでいるのだろうと思えました。
書類上は親、親戚でも、魂の世界では縁が切れた事が分りました。 
寅は生まれるべき時期を、間に合わないからと言って、早く生まれ出たのは、この為だったと思いました。 自分のするべきことは成し遂げたと思いました。 

この一か月後、寅は不思議な夢を見ました。 光の玉が弧を描いてスーーッと飛んできて、寅はそれに乗るのだと気づき、光の玉が雑木林に居る寅の上を通過するとき、寅をスッと乗せ、木の間をものすごいスピードですり抜けていき、小高い山の頂上の平地にスッと降ろしました。 そこで夢は終わりました。
その夢で、先祖だけではなく、他の存在が気に掛けているのだと思いました。 
そこに居ては危険だから離してくれたのだろうと、思いました。

寅は霊媒体質であると、どの霊媒師も言います。 
三人目の霊媒師が言うには、寅は霊の意志が入るのを自ら拒否しているというのです。 
だから寅は見えたり聞こえたりしませんが、頭の中で閃くように自らの意志で分かると言うのです。 
寅は一人目の霊媒師に会ったときは、見えたり聞こえたり出来る様になればいいと思いましたが、会って一か月もしない内に、まがい者が寅の意識に関わるのは拒否すると強く意識していました。 
外から入って見せたり聞こえさせたりする意識は、本当なのか作為があるのか判断ができないから、惑わされているかもしれないのです。 
だから霊の意志が入るのを拒否しているのは自覚していました。 
寅は審神者であったように思います。

寅は霊夢のような夢をたまに見ます。 
夢で、聞いたことのない言葉を調べてみたら実際にある言葉であったり、夢で警告内容の文字が見えたり、夢で自分の体の悪い部分がレントゲンのように見えたりします。 
それを教える存在は、まがい者ではないとは言えませんが、本当に合っていました。

寅は、過去世から進歩のない魂が、増長して同じことを繰り返している事に気付きました。
因果応報は確かに有りますが、全てに当てはまる訳ではありません。
全てが因果応報であるならば、人の世が良くなって行くはずなのに、少なくても2000年前から歴史は繰り返し、人の世が荒んでいるままなのは論理に合いません。

因果応報という言葉を使って、恨んでいる者には関わらず、恨まれている者に非を認識させることで、その場をやり過ごそうとします。 
傲慢な者の方に寄り添って、「もうしないようにね」となだめているようなもので、性分は変わらず、魂は成長せず、何世代許しても、許しても、同じことを繰り返しています。
日本では因果応報が浸透していますが、本質を見ずに、安易に因果応報という言葉を使うと、言葉の威力が無くなり、恨みを持った者が復讐することを容認する事に成ります。 
それが逆恨みであっても間違いを正すのではなく、被者に「神仏の法則だから」と非を受入れさすのです。 
勝手に恨みを持った者勝ちになるのです。 今の日本が全くその通りの状態だと思います。

日本の霊界は、因果応報を教育された者が創った霊界ですから、本質を見ずに因果応報を鵜呑みにした先祖達が、霊界の意識で縁を繋げようとする時、敵同士を結婚の縁に繋ぎ、敵同士を親子の縁に繋ぎ、幼稚園児みたいに握手させ仲直りさせることが、誉れと思われるのです。
元の原因を精査して改めるのでなく、喧嘩両成敗が指導者の誉れになるのです。 
逆恨みする者を正す事が出来ないから、聞き分けの良い方に非を認識させることで、解決しようとするのです。 
だからせめて先祖には、冷静に正しく因果を心してもらいたいものです。

人を敬う心の無い人は、いずれ許される事を知っているのです。 
悪い事をする人は仕返しをしてくる人には手出ししません、そして人を許す人を見下しています。
恨んでいる霊はそのような波長をしていますから、同じような波長の霊が集まります。 
恨みを果たしたとしても、そのような霊に同調されて、少し気に入らない事があればすぐ人を恨みます。 
悪い友達の中に居るような状態です。
霊媒師はそのような霊を説得して人の心に帰すことが出来るほどの、説得できる畏怖を持っていません。 
その場では説得できても、しばらくするとまた元の愚狭な意志に戻ってしまいます。 
だから、霊媒師は原因がどうであれ、恨まれている被者に謝らせるのです。 
加者が嘘の情報を聞いて恨んでいても、被者がした事ではなくても、傀儡(クグツ)とさせて被者に謝らせたり、散財させることで加者の気を晴らさせようとするのです。 
しかし、それも一時しのぎで、後で「やっぱりそうかと、あいつが謝っているのだから自分に非があるわけない」と、恨んでいる加者を増長させることになります。 
被者は一度自分が悪いと思ったら、無意識にも加者に意識が飛び、加者の意識を呼び寄せて増長させてしまうのです。
恨んでいる霊にいちいち反応していると、波長を合わせてしまうので、自分の波長に穢れが入ります。感動して心が洗われるのと逆の作用です。

人それぞれには見守ってくれている先祖がいるのです。 その数は悪より遙かに多いのです。
悪は少数だから悪が成り立っているのです。 
悪ばかりになると、成り立たず、ただの地獄です。 
この様な悪の波長の霊界は、同じような波長が集まっていますから、これを地獄といいますが、本人たちは地獄に居ると思っていないのです。 
被者が加者に慈悲を掛ける事を止めた時、この加者の波長の世界は、本当は地獄ではないかと、加者が思うようになるのです。

自分の誉れを求めるあまり、許してはいけない事に慈悲を掛け許したから、問題を避けるために、口を閉じ見過ごしたから、自己主張をしなくても、神仏が明らかにしてくれると期待しているから、野放しにした本人とは縁の無い人が、無情にもその被害に侵され苦しみ、いずれ本人にも被害が及んでくるのです。

寅は夢の中で、ソドムとゴモラ状態という言葉を聞きました。 
初めて聞く言葉で意味が分りませんでしたが、調べたら、民が無秩序なため、神の怒りを買い、すでに救いようのない破滅の状態だと分りました。
意味があった事に驚きましたが、その意味が現状に合っている事に納得しました。

人の心が変わるのは、握手をして和解しても、人の悪い行いを見ても真に変わりはしません。
人の心が変わるのは、尊敬できる人を見て、あのように成りたい。 尊敬できる人から学び、心に染み入る事で、少しずつぼんやりと変わって行くのです。 
だから社会が持つ尊敬できる対象が、その社会の程度に成るのです。 
だから安易に因果応報で誤魔化さず、一つ一つ積み上げて行かないと、社会が持つ尊敬できる対象が変わって行かないのです。 
一つ一つ精査していくことで、人としての心が備わって来るのです。 
人としての心が備わっていないのを地獄と言うのです。

本格的に宗教が始まって2千年以上経つのに、変わらないという事は、「慈悲をかけて何度許されても、繰り返します」と自ら証明していると、寅は気づきました。 
この西暦2000年が期限だと気づきました。 この2000年を境に慈悲は途絶え、それこそ一蓮托生、魂は永久に別れるのだろうと思いました。

本当は誰しも、心は素晴らしい感動を求めているのに、それが手に届かないと思うと、人を陥れ、人の幸せを奪い、自分は勝ち上がったと自慢したところで、そこには心の感動は有りません。
記憶と知恵を持った人の心は、何に感動するのでしょうか。 
それは生命を感じとらえたとき、感動するのだと思います。 
そこから歌や踊りが生まれます。 
歌や踊りにも生命を感じ、そこから美味しい物を食べたいとか、綺麗な服を着たいとか、いい家に住みたいとか、思いますが、結局、記憶と知恵を持った人の心が本当に喜び、感動するのは、生命を感じとらえたときに帰るのです。 
生命を敬い、心が安心したときに初めて、はかりごとをしなくなるから、植物が酸素を発生し、酸素をエネルギーにして移動できる動物が発生できた、その環境を創ってくれた自然と、向き合えるのです。
その八百万の神の恵みが、最も価値あることだと分るのです。